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西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)


いろんなとこで薦められてて、興味を引かれたので読んでみることにしました。
16ページまで読みました。一週間かけて。
苦行です。
じゃ読むのよせばいいのに。
マゾか自分。
この本を読むのがとてもつらいのはわたしがおばちゃんだからかもしれない、ってさっき思いました。さっき、っていうのは15ページ最後、単身赴任中のパパにママが電話で相談してる箇所を読んでからです。ここはスッと読めたので、「なんでここだけ普通に読めるんやろ?」と、しばし考えて、出てきた言葉が「ティーンの自意識過剰はウザい」「ティーンの心象表現はこっぱずかしい」です。15ページのママとパパの会話以外は、まい目線で描写されるのですが、これが、ものすごくウザい。でもティーンエイジャーっていうのは確かにこんなんです。それは自分も通ってきた道だからよく存じております。このウザさは、まるで若さ丸出しだった頃の自分の心をビデオ録画で見せられているようだからこそ、そんな風に感じる気がします。「あーあー!きこえない!」「や〜め〜て〜!!」って感じ。理解していただけたでしょうか?で、そう感じるってことは、ものすごく巧みに「十代」ってものを表現されているってことの証左じゃないかな‥‥っておもったら、やっぱりがんばって続きを読んでみることにします。
‥‥で、あともう少し読んで、この本の読感がどうしようもないほど気恥ずかしい理由は、「まいが十代だから」だけではなく、「まいがクォーターだから」ってのもあるってことに気づきました。気づくの、遅っ。それは、わたしがカッチカチのニッポンのおばちゃんやから、こういう表現を居心地悪く感じてしまうんやろね、という仮説。もうちょっと若い人やったら、どう感じるのか、あとでググってみ〜ようっと。


<追記>読んだ。恥ずかしいのに慣れたらすぐ読めた。トイレしてる間に読めた。まあまあ、なんていうか、そんなかんじ。テクニカルなとこは好きかも。おばあちゃん家にやってきて、サンルームでまいが不安な気持ちで待っているシーンとか。外でもなく、内でもないその部屋。いろいろ示唆的。こんなのが多くて、読んでて楽しかったです。ただ、全体としてはやっぱり気恥ずかしさが‥‥。児童文学にしてはオスマシしすぎだし、普通の小説としては子どもっぽすぎる気が。ん、まぁもういいか。最初に「わたしがカッチカチのニッポンのおばちゃんやから、こういう表現を居心地悪く感じてしまうんやろね」って書いたけど、わたしが関西の人間だから、というのも関係あるのかもしれませんね。
関連事項でちょっと、知ってる人はおしえてほしいのですが、「渡りの一日」でダンプの運ちゃんしてるおねえちゃんが、絵の運搬をするシーンがでてくるんですけど、美術品って、ダンプで運ぶ?ダンプってあの、ウイ〜ンって荷台がはねあがる車ですよね。工事車両のイメージしかなかったもので、絵を運ぶって展開になって「ん?」と思ってしまいました。ダンプカーで絵画を運んだりする事ってあるんでしょうか?美術品輸送は専用車を使うんだとばかり思い込んでいたのですが、トラックではないのでしょうか。どうでもいいけど少し気になったので。