めぞん一刻
- 作者: 高橋留美子
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2007/08/30
- メディア: コミック
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はじめて読んだ。
なんで今まで読まなんだんやろ。
すごいな、これ。
男の子は恋によって成長して男になり、女は愛されることによって解放される。
恋物語の基本で、かつ、一番大切な命題だよね。
ま、堅苦しいことはさておき。
わたしが述べたいのは、響子さんについてです。
響子さん。
響子さん。
響子さん、むっっっちゃかわいい〜〜〜〜!!!!!!
高橋留美子がキャラクター造詣の達人であることは存じておりました。
が、響子さんのキャラのすばらしさは、あたしなんかの想像をらくらくK点越えやったね。
なんですかあれは。
未来少年コナンのモンスリーが今まで一番好きだったのですが、
‥‥モンスリーさん、ごめん!!!!
ヤキモチ焼きな響子さん。
五代と三鷹の間でけっこうズルい振る舞いを見せる響子さん。
雰囲気に流されやすかったりするのに、いじっぱりな響子さん。
大人な響子さんなのに、実家へ帰るとまるきり女の子な響子さん。
いろいろな要素を、まったく破綻や違和感なく
むしろ、多面性をもたせることで、存在のリアリティーを感じさせられる。
この力量ったらすごい。
素敵なところも、困ったちゃんなところも、全部ひっくるめてかわいい。
そう思わせられる。
‥‥そうだ、それが恋じゃあないか。
あたしは響子さんと、そしてこの『めぞん一刻』に恋をしたんだなぁ。
あ〜おもしろかった。
以下、追記。
時々読んでるブログでちょっとおもしろかった記事があったので貼り付けます。
るーみっくわーるど、京都参上 - 花房観音 「歌餓鬼抄」
昔はラムちゃんのことがあんまり好きじゃなかった。嫉妬深いし、しつこいし、感情的な女だなぁと思っていた。時を経て私はラムちゃんどころじゃない嫉妬深く執念深く感情の起伏が激しくしかも可愛くない女になる。そうすると、何故かラムちゃんの感情表現の素直さが好きになっていた。
わかるなぁ〜。すごいわかる。恋愛したことなかった子供の頃(わたしが『うる星やつら』をTVでみたのは小学生の頃でした。)、「わたしは嫉妬なんかしない。ベタベタした付き合いなんかしない。もっとクールに、スマートにやるだろう。」とか思ってたよ〜。で、ラムちゃんを上回る焼き餅焼きとなりましたおめでとう。いやぁ、やってみなきゃわからんことって、世の中にはたくさんあるね!
ついでにメモっとくと、作者が女の人だから「女のやらしいとこ、よおわかっとるな〜!」って表現が随所にサラッとでてくる。響子さんのこのへんを、藩さんは嫌いやったんかしら。ちゃ〜んと男のやなところも描かれるけどね。わたしは、そういう面を描かれても、登場人物を嫌いにはならなくて、むしろ人間くささをかんじてキュンってなっちゃった。男女の書き分けもおもしろかった。妄想シーン、五代君のと響子さんのではずいぶん雰囲気を異にしていたりして、笑っちゃった。女、といえば響子さんはよく鏡に向かって話しかけてたなあ。女っぽいよなあ、あれ。実家に帰って五代君が何度も訪ねてきて、追い返した後、鏡に向かって自問するの。あのシーン色っぽくて好き。あのシーンも、やだなぁ、って思う人は思うやろな〜。
あとね、マンガ夜話「めぞん」の回をはって,ちょっと長い引用になるけど‥‥
いしかわ
おれはねえ、高橋留美子って作家はすごいと思うんだけどね、さっきるーみっくわーるどって話が出てたけ ど、例えばめぞん一刻館ってのがあって、すごくよくできたテーマパークなんだけど、それがみんな作り物の世界で、外に出ると向こうの側(がわ)が見えるんだよな。だから、もう一つ楽しみ切れないってところがあるんだよね。
竹熊
世代の差もあるのかしら。
いしかわ
世代の差なのかなあ。
竹熊
うる星やつらの「ビューティフル・ドリーマー」ってのがあって、押井守が監督をやったんだけど、あれがまさに、石川さんのおっしゃったことがテーマなんですよ。要するに夢から覚めて現実に戻りなさいてなことを言っちゃった映画で、箱庭こわしちゃった映画なんですよ。ただし、あれは僕らにとってはショックだったけど、ヤボっちゃあヤボなとこがあるわけですよね。
いしかわ
だから、高橋留美子のるーみっくわーるどって閉じられた世界で十分楽しめる世代と、限界を感じてしまう世代があるのかも知れないね。世代って言っていいのか分かんないけど。
竹熊
ただ、押井守はるーみっくわーるどを破壊しちゃったわけですけど、彼自身がそこから先に一歩も進めないんですよね。現実に戻って現実が面白いのか、どう振る舞えばいいのか、それが分からないままに我々の世代は来ちゃったんですよね。
岡田
西村さんが「一刻館に住みたいですよ」って言ったときに、竹熊さんがなんとも言えない表情見せて。あんな時間の止まった空間ヤだとか思ったんでしょう。
竹熊
うーん……いや、これはこれでハッピーエンドなんだけど、ほんとだったらある種人間として成長して、一刻館を出て行くっていうさ、モラトリアムの空間を捨てて出てくってのが成長ドラマじゃないですか。
岡田
ところが戻って来るんですよね。
いしかわ
そこが、やっぱりテーマパークなんだよな。入口から入って出口から出てくんだけど、その出口ってのは実は入口なんだよな。
竹熊
だからさ、ウォルト・ディズニーみたいなところがあるんじゃないですかね。
大月
テーマパーク以外の高橋留美子って、ありえますかね。
岡田
いしかわさんにしてみれば、人魚シリーズもテーマパークの中の、ホラーの館なんですよね。
いしかわ
うん、おれにはそうとしか読めないんだよね。
このやりとり。放送が1996年8月23日。古いっちゃ古いので反論が後出しジャンケンぽくてヤなんだけど「高橋留美子のるーみっくわーるどって閉じられた世界」、これはよく言われることで批判的にとられることが多いけれど、本当に批判されうるものなのだろうか、って疑問がわいた。だって、ふつーに、平々凡々に生きてると、人はそんなに開かれた世界では生きていないことが多いじゃない。家庭とか、会社とか、地域とか、趣味仲間とか、その程度じゃない。しかも、そんなかで仲よしになる人なんて、ほんの一握り。基本、普通に生きてる人は、狭い世間で生きてるんだよ。まあ、世間ばっかりで生きてる人は、それはそれで違うと思うけど。普通の人の、日常レベルでは、るーみっくわーるど並に閉じてるし、さほど変化もない。『押井守はるーみっくわーるどを破壊しちゃったわけですけど彼自身がそこから先に一歩も進めないんですよね。現実に戻って現実が面白いのか、どう振る舞えばいいのかそれが分からないままに我々の世代は来ちゃったんですよ』ってあるけど、『モラトリアムの空間を捨てて出てくってのが成長ドラマ』。わかるっちゃ、わかる。けど「それでは行き詰まるんじゃないの?」「みんながみんな、そうである必要が本当にあるの?」っておもった。浅羽通明の「昭和30年代主義」を読んでたら、ちょっと関連しそげなことが書いてたりする。
- 作者: 浅羽通明
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2008/04
- メディア: 単行本
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