おかわり

たーんとおたべ

これは私の歌 嫌な私の歌 aikoの『明日の歌』で果てる

またaikoです。

「もっと」がたまらんよかったから
ほかのも当たってみたら、
どえらいのあった。

 


aiko-『明日の歌』music video

 

……何じゃこりゃ。

 

aikoはわしを殺す気か。
こんなもん、あんた、
こんなもん、あんたな、

マジで凶器やで!!!

聞いたら切なくて死ぬやで!

ほんでアルバム買うてもうたがな。
ほとんど自殺行為やな……

 

「あなたの唇触ってみたいけど笑ってそしらぬ顔して見ていた」
「言いたいことが言えなくてもあなたの言葉に頷くだけで嬉しかったの」
の部分は、
息をするのを忘れてしまうのか、
させてもらわれへんのかわからんけど、
酸素が足りなくなって正しい意味で死にかける。
ピアノの音が踏切の警報音のようにも、
時計の秒針にも聞こえる。
ベースとピアノがハモって、
不安なときの早鐘のように打ち続ける心臓音にも聞こえる。
あそこの部分の半端ない不安感、私、知ってる……
ストップモーションのようにも、
早送り映像のようにも感じる感覚、記憶にある……
そこにギターとか、ストリングスとか、シンバルとか、
どんどん音をかぶせてきよる。
やめてー!
人生における「切ない」をまとめて全部思い出してしまう!
 

この歌を聞くと、
心臓に手を突っ込んで、グリグリやられるような感覚がします。
心の一番奥にしまってある、
誰からも隠しておきたいものを素手でつかまれるような。
「ああ、そこはあかん、そこはあかんねん!!」って。
この歌は、心の尿道海綿体を狙いすまして突いてきます。
これで感じなくて何が女か。

こんな感じです。

 

私には、すごいものに出会ったとき、
どうしても吐き出さざるを得ないときがあります。
自家中毒起こして死にそうになるから。
そして、同じように死にかけている人の感想を読みます。
書きつけてから読んだり、
いろいろ読んでみて、まだ書かれていないっぽいことがあったら書いたり、
そんな感じ。
今回は、ちょっと読んでから書くんやけど、

明日救済される世界より -私達の「明日の歌」 aiko「明日の歌」考察

ここの「■His song? or Your song?」がたまらんよかった。

 

そう、これは「私の歌」やった。

 

何でもないような顔をして、執着をひた隠して別れ話しながら、
狂おしい嫉妬を押し殺している、嫌な私の歌。

思い出が絡みついた物を捨てることもできず、
チカチカと未練がましく点滅する心。

汗と一緒に流したかったのは「辛いもの」だけじゃなくて、
涙とか鼻水とかいろいろ、きっとそういう「汚いもの」もあって、
そんなもん、何ぼシャワー浴びても絶対流し切れるはずなくて……

 

……いや、実際にこういう別れを経験したとかと違うのよ。
大人の女なら既に知っている感覚を具現化したというか、
歌という形に美しく、生々しく結実したというか。
逆説的にいえば、この歌がわからない女は大人と違うとすら思う。
思うけど、それはそれで幸せやなとも思う。
本当に、心から。

 

でも、知ってしまったのなら?

 

知ってしまったら、もう引き返すことはできない。
退路は絶たれ、しかも迷子だ。
よく知っていたはずのあの人は、「え、この人、誰?」
信じていた日常は「ここはどこ?」
そして、輝いていたはずの世界は一挙に青ざめる。

こんな状態で、あしたなんか来るはずがない。
あ~~~!!死ね、死ね、みんな死にさらせ!
保育園落ちてないけど、日本死ね!世界死ね!

そういう「私たちのための歌」。
こんな私たちに、aikoは「好きなあなたの歌」と歌う。

 「いつか遠い遠いあたしも知らないあたしを
 もう一度包んでくれますように」

「誰かが鼻歌であの雲の向こうまで
 笑い飛ばしてくれますように」と。

……もうね、aikoは私を抱くべきやと思います。
たまらん。
この軽やかな暖かさは、大人だけが持つものだ。

ここの部分は、
「世界死ね!」のクライシスから生還した人だけが知っている、
何とか転生を遂げることのできた人だけが知っている「明日」。

心で悲鳴を上げながら、
決死の覚悟で自分を再生させたことが、
世界を再構築したことが、
大人なら必ずあるはず。

だって、その経験こそが人を大人にするから。

 

気をつけなければいけないことは、
決して重くならないこと。
意地でも軽さを失わないこと。
荷物はこんなにふえているんだから、
慎重に、注意深く、丁寧に……

さり気なく、しなやかに。
でも、強く。

荷物の重さを感じさせてはいけない。
その決意が大人を美しく保つ。
私が出会った大人は、いつもそうだった。

時々、背中が不安になる。
私、大丈夫かな?って。
背中は自分で見えないから、きれいに年をとることは本当に難しい。

aikoの背中はとてもきれいで、
声は相変わらずかわいく、軽やかに色っぽくて、
魔法のような音楽に私は陶酔する。

 

泡のような愛だった (特典CD付通常仕様盤)

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この歌のイントロに、軽く、小さく奏でられるピアノは、
aikoが何を大事にしたいのかを話してくれたような気がした。
どんなに大人になっても、
たとえ全宇宙に呪いの言葉を叫びたくなるような経験をしたとしても、
「小さな女の子」な自分を忘れないで、と言われた気がした。

 

 

「明日の歌」を聞くまで、
私の中のaikoの一番は「アンドロメダ」でした。

ちょっと「この2曲はつながってる?」と不思議な感覚になったのは、
「アンドロメダ」に「この歌よ誰が聴いてくれる?」
というフレーズがあったところ。
「アンドロメダ」のここの部分を聞くと、
なぜかいつもKANの「Songwriter」を思い出す。
「個人的なことやけど、でもきれいやろ?
多分その価値あるから歌にしてみたで」
という感じやなって。

今回は、
「これは個人的なことやけど普遍性を持っている」
と確信を持って歌った気がする。
「大人やったら、わかるやろ?
 この感じ、知ってるやろ?
 ……っていうか、これが歌やろ?」
的な。
わからんけど、思った。
思ったんやから、しゃーないやん。

 

「アンドロメダ」の
「私、これ歌いたいんやけど、わかるかな?」
という感覚的なものから、
「明日の歌」の
「これ歌わんで何歌うん?」
という確信的なものへの変化。

 

「アンドロメダ」の幻滅と、「明日の歌」の喪失。
どっちも扱うのはめちゃくちゃ難しい。

壊れ物やから。
消え物やから。
確かにあるのに見えないものやから。

引き留めたら払われるから、
しっかり掴んで、離さないようにしないと
生まれた先から逃げていく感覚やから。

何より、正面から見詰めると
余りにも苦しく痛いものやから……

痛さに溺れて感情だけになってもあかんし、
苦しさから逃げて理性だけになってもあかん。

だから、これをどう扱うのかで、
その人の底力みたいなもんを図れるって私は思っている。
その2つともaikoは見事に描き切ってる。
言葉と音と、自身の存在で。

 

 

 

……はー、すっとした。
全部言えたかな?