ロストジェネレーションと戦争論
小林よしのりが出てるってんで論座七月号を図書館で借りて読んだ。それでちょっとびっくりしたんだけど、雨宮処凛とわたしってば、同い年だったんですね‥‥。今日は「処凛たんが『戦争論』使って自分語りしてたから、んじゃわしも」の巻です。
- 作者: 小林よしのり
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 1998/06
- メディア: 単行本
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マンガを描く人になりたかったんです。ずーっとちっちゃいときから。でもはずかしくて、誰にもよう言わなんだ。なれたらいいな‥‥ってヒミツで思って、広告の裏とかに一生懸命描いてた。けど、藤子不二雄の『まんが道』を小学生の頃読んじゃって、「あーやっぱ無理w」ってなった。才能も、熱意も、足りないって。でも、やっぱりあこがれた。無理だってわかってたけど、あこがれた。鳥山明や井上雄彦や曽田正人、いくえみ綾、紡木たく、松本大洋のカラーページはファイルして、ニヒニヒいいながらながめたりしてた。週刊少年誌に連載して、漫画家一言コメントみたいなのとか書いてみたかったりした。きもちわる。『ロストジェネレーション』という言葉をわたしが正しく捕らえているのかどうだかかなり不安なんだけど、あの頃、バブル以降のあの頃、ものすごく価値が相対化されまくってた覚えがある。何を、どの価値を信用していいのかわからなかった。それはわたしが思春期だったせいもあるけど、オウム関連の報道なんかでもみんなアタフタしてたんだから、私だけじゃなく世間全体がそうだった。上祐の、今から見たら寝言みたいな言葉に納得させられたりするほど。そんな時代だからなのか、たんに自分を信じられなかっただけなのかはわからないけど、夢なんか叶わない、見るだけ無駄だって、そう思ってた。そんな風なくせに同人誌とかやってる人たちの事を「プロになる気もないのに、なにやってんの?」ってえらっそーに思ってた。なんて中二病。
んでね、漫画家になれないんならせめて絵に関係するお仕事につきたいな‥‥それぐらいならいいでしょ?ってんで、デザインの専門がっこにいったんだけど、やっぱり、どうしても挑戦してみたくなって。就職活動がはじまる前に、漫画賞に応募した。それからはもう、そればっかり。とめられなかった。日常に帰れってよしりんは言ったけど「3年だけだから!3年やって連載持てなかったら、あきらめて日常に帰るからっ!!」ってバイトして漫画描いてた。怖くてしょうがなかったのに、無謀だってわかってたのに、とめられなかったのは、そうだよ。よしりんや曽田さんの漫画の熱さにやられたからだよ。『シャカリキ!』読んだから。『ゴー宣』読んだから。結局3年後もこの2つの漫画(ゴー宣は、『脱・正義論』だった。)よんで、やめるふんぎりをつけたんだ。「あ〜、わたしには漫画を描くために重要な、何かが足りない」って、心底意識させられてしまったから。
でもその『漫画を描くために重要な、何か』がわからなかった。足りないのはわかっているけど、何が足りないのか、がわからなかった。それを知らしめてくれたのが『戦争論』だったんだ。
「大事な価値は、ある!」「守るべきものは、ある!」
価値の相対化されまくった世の中で、既存の価値観が古くてダサくて役に立たないものとして打ち捨てられた時代に、そう叫んだ。わたしは雨宮処凛のように『戦争論』によって自己肯定はされなかった。ただ、教えられた。『漫画を描くために重要な、何か』を。これだったんだ!!って。それから、打ち震えた。「『大事な価値は、ある!』だからわしはこうして漫画家生命をかけて、これを描く!」という姿勢に。ここまでやるか?って。
『戦争論』が発売されたのを知ったのは、彼氏と淡路島を旅行中でした。旅先の民宿で朝刊読んでたら、でっかい広告が出てた。早く読みたくて、道々本屋があったら立ち寄ったけどどこにも置いてなくて、地元に帰ってから近所の本屋で聞いたら「ああ、あの人、アッチの方いっちゃったからねぇ‥‥」「あんなの、売れないよ」とか聞いてもないこと吹き込まれて、しかも置いてなくて。散々だった、というエピソードがあります。夏の思い出。でもほんとに、そんな時代もあったんだよ。